バンコクから帰ってから最初の仕事。出かける前に久しぶりに登校拒否児のような気分を味わいました。ずっと異国でのんびりしたい…。
そんなバンコク滞在の少し前の長崎旅行の最終日です。
長崎宿泊の翌日は、少し雨でした・・。ほんの小雨なので、何とか傘を持たずに歩くことができました。
朝の目的地は出島。出島には行ったことがなかったので、一度は見ておこうという軽い気持ちで入場しました。
簡単に出島のことを。出島は2年の歳月をかけて、ポルトガル人を管理する目的で、幕府が長崎の有力者に命じて作らせました。ところが幕府がキリスト教の布教と植民地化を避けるためにポルトガル人を国外追放としたため、出島は無人状態となったですが、その後オランダ東インド会社の商館が移され、武装と宗教活動を規制されたオランダ人が居住することになりました。以後、約200年間、オランダ人との交渉や監視がここで行われたのです。ペリー来航によって日本が開国されることになった年、日蘭和親条約締結によってオランダ人の長崎市街への出入りが許可されました。そして出島開放令と共に出島の日本人役人が廃止され、出島にあったオランダ商館も閉鎖され、事実上「出島」としての存在意義は失われたそうです。
↑の知識を一応持って出島を観光すると、より楽しむことができます。

東側のゲートから入りました。500円の入場料です。

出島の模型です。雨にさらされていていいのかなと思いました。

表門です。今はここからは入場はできません。当時この出島に出入りできる人は限られており、もし自分が当時の人間で会ったら、、それが逆に興味をそそりそうです。
少しだけ中の建物を紹介してみます。

カピタン(商館長)の住まいです。ちなみに出島の中で何度もカピタンという言葉を目にし、「いったいなんなんだろう?」と思っていました。

こんな感じです。入場が制限されていた出島の中ですが、結構大きなパーティー等が行われていたことでしょう。日本人は当時の西洋の文化の中の食べ物や洋酒に驚いていたんでしょう。いやあ、浪漫です。

船長や商館員の住まいを見てみます。

異国で過ごす気持ちってどうだったんでしょうか。今のように簡単に世界中を移動できるのならば別ですが。
個人的な感想ですが、この出島、それほど広くはないのですが、見どころは満載だと感じます。例えば子どもが歴史の勉強をしに来るとするならば最適な場所でしょう。一つ一つの出来事や備品に関しても大変丁寧に説明があります。自分のようにあまり歴史の知識はなく、ぼんやり見学に来た人に対しても

、わかりやすい解説があり、本当に気に入りました。たった500円で知的好奇心を呼び起こしてもらい、「これはなんだろう?」「何でこんなことが起きたのだろう?」といった素朴な疑問を楽しめたことに大変感謝しています。ちなみに出島で起こったミニニュース的なものを新聞にまとめたものも大変興味深く読むことができました。出島を大切にする人たちによって、今でも素敵な施設になっていることに感激しました。日本の国際交流のはしりともいえるこの出島が永遠に後世に残ると信じています。
2時間以上楽しませてもらいました。ありがとうございました。
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テーマ:長崎 - ジャンル:旅行
- 2013/01/15(火) 23:15:09|
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